2015年05月25日

下諏訪温泉「みなとや旅館」の庭園露天風呂につかる

江戸から山国・信州(長野県)を越えて京へと至った中山道(なかせんどう)。そして江戸と甲州(山梨県)を結んだ甲州街道。ふたつの街道が合流したのが、下諏訪宿(長野県下諏訪町)です。
その下諏訪宿に湧く綿の湯は、街道時代に「中山道随一の名湯」といわれた温泉です。
「とにかく肌触りが良くて、よく温まるから評判になったんでしょう」
と語るのは下諏訪温泉「みなとや旅館」の小口惣三郎さん。

その「みなとや旅館」、街道時代の旅籠(はたご=旅人が利用した旅館)を彷彿させる宿として有名です。
雑誌『TIME』に「もっとも日本的な宿」と評されたこともあります。

20150525minatoya3.jpg


「下諏訪から左の中山道を行けば、噴煙たなびく、浅間山麓軽井沢を経て、やがては、花のお江戸。右の甲州道を行つても、武田信玄のふるさと甲州を経て、お江戸です。
裏を返せば、江戸で別れて、一人が中山道を、一人が甲州道を歩いてきても、再び、この下諏訪の綿の湯で出逢うのです」と小口さん。




みなとや旅館の前に石碑がぽつねんと立っていますが、ここに記された文字が、右甲州道・左中仙道。実はこれ、白樺派の大家である、「里見ク先生が逗留された折に頂戴した書を刻んだもの」とのこと。
みなとや旅館の風雅な下駄は、左足に「左中仙道」、右足に「右甲州道」と焼き印が押してありますが、もちろん里見クの書。
「たとえ、右に、左に、別れてもいつかは再び、必ず出逢う、そんな思いをこめた下駄なんです」
(小口さん)。

で、庭園露天風呂へは玄関からこの下駄をカランコロンと鳴らして向かいます。
20150525minatoya1.jpg


「パリのことは貴方にまかせるから 諏訪のことは私にまかせなさい」
これは、みなとや旅館の常連、岡本太郎の遺した言葉。
永六輔は『週刊朝日』に、こんなエピソードを記しています。
「諏訪湖に氷が張ると行きたい宿がみなとや。
ここで岡本太郎さんと偶然二度も逢っている。
「ご無沙汰しました」と言ったら、
「俺には過去が無い」
と言われたことが忘れられない」。

宿の女将が、「先生の絵はむずかしくてわからない」といったら、
岡本太郎さん、きっぱりとこう答えたそうな。
「ボクの絵がわからなくたっていい。わからないということは 少なからず関心を寄せてくれたということだ」
私も若かったから、今考えると冷や汗が出るようなことを聞いちゃったんですと苦笑いする女将だが、それほど岡本太郎とこの宿は家族のようなおつきあい。
岡本太郎、永六輔、小沢昭一、白洲正子などなど、この宿を贔屓(ひいき)にした文化人は数多い。
そんな文化人が愛した露天風呂が下の写真の庭園露天風呂。
20150525minatoya2.jpg


実はこの宿、風呂はここにしかない。くどいようだが、内風呂はないのだ。
しかも露天風呂はひとつだし、シャワーはもちろん、カラン(蛇口)、石けん、シャンプーもない。

宿の主人は多くは語らないのだが、
常連だった小沢昭一さんに以前お会いしたときにその話をしたら、
「この宿で、石けんを使うなんざ、野暮ですよ」
と笑われてしまった覚えがある。

つまりは、風雅さを楽しめということ。
常連の文化人も周囲にある共同湯でせっせと体を洗っていたそうな。

みなとや旅館



posted by シマウマ-クラブ at 14:34| 長野のおすすめ