函館にある五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工し、1866(慶応2)年に完成した西洋式の城郭。さらに函館市近くの北斗市清川には、四稜郭(正式名は「松前藩戸切地陣屋跡」/まつまえはんへきりちじんじゃあと)もあって、1855(安政2)年、幕府が松前藩に築造を命じたもので、なんと! 五稜郭より、こちらの方が築城は先ということになります。いずれにせよ、函館周辺の五稜郭は、幕末に北方警備のために造られた西洋式の城郭です。
長野県佐久市にある五稜郭は、意外にも実に無名です。正式名を龍岡城(たつおかじょう)といい、龍岡藩の藩庁が置かれていた城。松平乗謨(まつだいらのりかた=大給恒/おぎゅうゆずる)は、現在の愛知県岡崎市・豊田市周辺を支配した三河国奥殿藩の藩主でしたが、飛び地であった龍岡藩に藩庁を移転し西洋式の城郭を建築します。
1863(元治元)年に築城を開始しましたが、完成を待たずにして明治維新を迎えてしまいます。
龍岡城の城跡の大部分は、佐久市立田口小学校になっていますが、堀の一部や御台所櫓が現存しています。大手門側(上の写真)から堀を渡って入城すると田口招魂社が鎮座しています。
また大手門前にはビジターセンターである五稜郭であいの館(下の写真)と駐車場も整備されていますので、ここを目標にアプローチするのがおすすめです。
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