2012年09月17日

牧之原市の『御船神事』と老中・田沼意次の関係とは!?

昨日(9月16日)、牧之原市の大江八幡宮で国指定無形民俗文化財『御船神事』が齋行されました。牧之原市の相良地区は、かつて相良藩の城下町。相良藩の藩主だった田沼意次は1772(安永元)年、老中に出世、その勢いで相良城を築いています。田沼意次にとって相良は出世の地。
そんな田沼時代(享保年間)に廻船問屋が航海の安全と商売繁盛を祈願して創始したと伝えられるのが大江八幡宮の『御船神事』。

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精巧にできた菱垣回船と樽回船の模型(御船)を操り、揃いの浴衣姿の「船若衆」が4人1組で御船を担ぎ、船首を持ち上げたり、船尾を持ち上げたりと波間にいきかう千石船の様を表現しながら氏子地域を練り歩きます。
藩主が老中となった田沼時代には、相良湊は、大坂と江戸を結ぶ回船の寄港地として拡充され、さらに相良湊と東海道藤枝宿とを結ぶ相良街道(田沼街道)も整備されています(この道を使って相良藩の塩が藤枝以北の内陸に運ばれてもいます)。田沼時代というとつい時代劇の「越後屋、おまえも悪よのう・・・」という贈収賄シーンを思い浮かべますが、株仲間の結成、蝦夷地の開発計画、下総国印旛沼の干拓着手、ロシア帝国との貿易など江戸時代の田中角栄といったパワーを発揮します。
当然、初代藩主となった相良藩でも重商主義的な政策を進めたでしょう、その名残がこの『御船神事』というわけなのです。

一見すると遠州の古社での素朴な祭りといった風情なのですが、その背後には、田沼時代の遠州の湊町の活気が息づいているのです。

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ちなみに同じ16日には、飯津佐和乃神社(はづさわのじんじゃ)で『御船神事』も齋行されています。こちらは旧相良城下の中心で、揃いの浴衣を身にまとった船若と呼ばれる青年たちが木遣り歌に併せて千石船(帆掛け船)の模型をかつぎ練り歩くというもの。神事に使われる船は、江戸時代の千石船、千五百石船の模型です。明治29年に大江八幡宮の『御船神事』(国指定無形民俗文化財)から独立して始まったもので、こちらは静岡県指定無形民俗文化財。
飯津佐和乃神社の本殿右の稲荷社は1595(文禄4)年、徳川家康が相良御殿(家康が鷹狩りのために建てた御殿)守護のために伏見から勧請したもの。田沼意次が相良藩主となった際には相良城本丸内に祀られていました。

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飯津佐和乃神社の『御船神事』(御渡り)



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posted by シマウマ-クラブ at 20:10| 静岡のおすすめ