2012年12月06日
勝沼のブティックワイナリー巡り その6 奥野田葡萄酒醸造・甲斐ワイナリー(塩山)
甲府盆地を見下ろす牛奥地区のぶどう畑
ワイナリーが集中する勝沼ですが、その北に位置する塩山にも忘れられないワイナリーがあります。とくに思い出深いのは、20年前に取材で訪れた「奥野田葡萄酒醸造」。当時はまだ創業したばかり。主人の中村雅昌さんと奥様が、文字通り二人三脚で駆け回る日々。しかし夢を語るその目はキラキラとして、牛奥のぶどう畑に少しハニカミながら立たれた姿を、今も鮮明に思い出します。
この奥野田ワイナリーは、もともと牛奥地区(旧奥野田村)のぶどう農家が集まり、共同で地ワインの醸造を行なっていたものを、そのまま中村さんが受け継ぐ形でスタート。当時はやりたいことは多いが醸造で手一杯、まだぶどうの栽培にまで手が回らないといった様子。当然ぶどうは栽培農家からの買い取りになるわけですが、揃えたい設備、欲しい原料、醸造のバランスなど、なかなか自分の思うようには事が運ばないというジレンマと闘っているようにも見えました。それが今や自社畑を1.5haも有すワイナリーに変貌。もちろん、日々新たな葛藤はあるのでしょうが、なにか突き抜けた明るさを感じました。
広さ15aの畑にカベルネ・ソーヴィニヨンが植えられた奥野田ワイナリーの「HIYAKE VINEYARD 日灼圃場」(左、右上)ワイナリー2階のログハウスでは試飲も可能。ワインのラベルもアーティスティック(右下)
牛奥地区はもともと、甲府盆地を見下ろす南向きの斜面にあり、水はけがよく、尾根と尾根に挟まれているため、雨が少ない場所。「しかも朝晩と日中の温度差が大きいので、まさにワイン造りの前提となる、良質のぶどうを得るには絶好の場所なのです」と語っていた中村さん。それに加え、厳しい収量制限を行なってきました。
現在自社農場のひとつ、日灼圃場(ひやけほじょう)「HIYAKE VINEYARD」では、「奥野田ヴィンヤード倶楽部」を展開中。ぶどうの樹を1年間栽培する個人所有者を広く募集、枝の剪定や果実の収穫など、生育過程に合わせて現地で実際に畑作業やセミナーなどを行なう、というもの(入会金は1人1万円、申し込みは2012年12月31日まで。作業は年5回ほどを予定)。
なお、家族経営の小さなワイナリーのため、訪問する際は前日までに予約を。ワイナリーの2階には小さなログハウスもあり、ここでテイスティングも可能です。夢郷奥野田のラベルも目を引きますが、個人的には奥野田フリザンテ(スパークリングワイン)や、奥野田チェラスオーロ(ロゼワイン)など、イタリア〜ンな名称も気になります。
息子の風間聡一郎さんと現当主の敬夫さん(左上)母屋の庭ではイベントも開催(右上)ショップや試飲が可能な母屋と白壁土蔵のワインカフェ古壺(左下)甲州種は12月末までの期間限定販売の「かざま甲州新酒辛口」や「かざま甲州シュールリー」など、いずれも身体に自然と入ってくる味わいのワイン(右下)
さて、もう1軒は「甲斐ワイナリー」です。ここは建物自体に見る価値があるので、ぜひ一度訪問を。入母屋造りの母屋は蚕室をのせ、入口には太い梁天井と囲炉裏のある土間、奥には風雅な庭園を愛でる20畳もの広い座敷があり、奥座敷は10名以上なら貸切で利用可能。ほかに酒造蔵、文庫蔵、酒店など、江戸末期から明治にかけて築造された土蔵造りの4棟が、国の登録有形文化財に指定されています。また表通りに面して建つ、酒造時代に酒店だった建物は、漆喰に段差をつけて塗り固めた掛子塗りの窓扉が印象的ですが、現在は「ワインカフェ古壺」としてリニューアル。ワインはもちろん、チーズ、生ハムなどのつまみや、ラザニアなどのランチセット、自家製のチーズケーキなども味わえます。
しかし、驚くのはその歴史です。江戸末期から酒造業を営むはるか昔の乱世の時代、祖先はなんと信玄の軍資金・黒川金山(塩山北東の鶏冠山)の鉱山主、金山衆のひとりで、そのルーツは信濃・風間神社の神官の出(風間氏は諏訪氏一族からの派生)。武田氏側について甲斐に出て、当時は信玄に莫大な軍資金も用立てていた、と当主で15代目の風間敬夫さんからお聞きしました。
ちなみに甲斐ワイナリーがある於曽(おぞ)というエリアは、この黒川金山衆の集住地で、当地の名士のお屋敷街でもあります。金山衆は郷士であり、鉱山開発や土木技術を身につけた専門家集団でもありますから、のちにその一部は佐渡金山など、鉱山開発にも携わったといいます。塩山では、信玄の菩提寺である恵林寺があまりにも有名ですが、金山衆ゆかりの放光寺など、関連史跡を回るのも面白いかもしれません。信玄関連のお宝を持っている古刹や神社もたくさんありますし。
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posted by シマウマ-クラブ at 14:35| 山梨のおすすめ