2014年01月29日

節分の豆まきとは?

かつて宮中で大晦日に行なわれていたという節分行事。なぜかといえば旧暦では年によりずれるものの立春を新年ととらえ、大晦日の晩に一年の厄払いや清めを行なう「追儺(ついな)」と呼ばれる儀式を行なう風習があったから。

煎り豆を自分の年よりひとつ多く食べるのは、その名残り。つまり年取りの意味があるわけです。

この「追儺」はもともと、大和の頃には中国から伝わっていたという古い祭祀。季節の変わり目=節分に出てくる悪鬼邪気や疫病を祓い、無病息災を祈るまつり。

別名「おにやらい(儺、鬼やらい)」とも呼ばれ、平安時代には朝廷に仕える陰陽師により盛大に執り行なわれていたとか。それが邪気を避けるため、一時的に方位除けを行なう「方違(かたたがえ)」などとも融合。

やがて中近世を通して社寺・民間にも広まり、小豆や五穀など穀霊信仰から霊力をもつといわれる豆をまくことで災厄や邪気、つまり鬼を追い払う、現在のような簡略化された厄除け祈願・招福行事へと変遷。

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高尾山薬王院の節分会追儺式ではお相撲さんやサブちゃんファミリーも参加


しかし当初穢れを祓うのに使われたのは、豆ではなく桃。古来中国では鬼が恐れるとされた桃の木を棒や剣、弓矢などに仕立てて悪鬼を退治したとか。ちなみに豆の霊力に関しても中国由来。日本ではその年の天候や作柄を占うのに米や豆が用いられる地方もあります。

その鬼自体も、元来日本でも神や霊魂とみなされていたようですが、陰陽道や仏教など神仏習合の過程で徐々に「見える化」。それが能の面や田楽のルーツとも。

また火を用いて豆を煎り、その煎り豆を食べることで神さまの力や福を体に取り込もうという意図も。節分前には「福豆」と称し一般にも販売されていますが、そう考えると無病息災、開運招福が謳われる「恵方巻」も似たようなもの!?(いやちょっと違うかw)

というわけで、ルーツは元旦を迎える大晦(おおつごもり)の夕べ、つまり除夜に行なわれた厄除け・清めの儀式「追儺(大儺)」で、本来節分とは別のもの。

ここから他の年越しや物忌み、日にちが近い立春前日の節分や農耕の行事風習とも融合しながら「鬼やらい(鬼追い)」、「豆まき(豆打ち)」の部分が残り、迎春、春祭りの行事として世俗化・定着していったのが現在の節分。




今でも春を迎える節目のひとつとして、さまざまに変化しながらその地方独特の節分が各地で脈々と息づいています。

京都の吉田神社平安神宮、奈良の興福寺、神戸の長田神社、千葉の成田山新勝寺、また奈良・薬師寺の「花会式」や大分・国東半島の長岩屋山天念寺の「修正鬼会」など、各々の縁起により古式にのっとった形で儀式を行なう社寺もあるので、時間があれば直接訪ねて違いを見比べてみるのも面白いかと。

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「特別追儺豆まき式」には境内が埋め尽くされる成田山新勝寺。今年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』からは、岡田准一、中谷美紀、桐谷美玲、速水もこみちなどが参加



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posted by シマウマ-クラブ at 15:27| 取材班の発見