2013年11月14日

東海屈指の紅葉の名所、香嵐渓が見頃!

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香嵐渓・栗の木茶屋付近の紅葉

東海屈指の紅葉の名所として名高い、香嵐渓(こうらんけい)。渓谷の美しさで知られますが、川の横には三河産の塩を信州へと運んだ中馬街道の宿場町、足助(あすけ)があります。

そんな足助の景勝地、香嵐渓に建つ香積寺(こうじゃくじ)は、中世にこの地を治めた足助氏の居館(飯盛山城)跡に建つ足助氏の菩提寺。

香積寺11世住職の三栄(参栄)本秀は、1634(寛永11)頃年から「般若心経」を1巻詠むごとにモミジの木を1本、巴川沿いの参道に植栽。これが今ではモミジのトンネルと化しています。

香嵐渓の紅葉が美しいのは、京都の社寺に植えられるのと同じイロハモミジ、オオモミジが川沿いに植えられているから。香嵐渓から眺める飯盛山も、香積寺の境内林なのでシラカシ、モミなどの自生もありますが、秋に目立つのはイロハモミジ。

寛永年間には江戸で小石川後楽園も造園されており、栄(参栄)本秀は、春の新緑、秋の紅葉を意識してモミジを植えたのは間違いないと思われます。

さらに大正から昭和の初めに、地元の住民がモミジを植えて、紅葉の名所が誕生。香嵐渓という名が付けられたのは比較的新しく昭和5年のこと。香嵐渓の中心である香積寺の「香」と渓谷から立ち上る「嵐気」から香嵐渓と命名されたもの。

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香嵐渓のシンボル的存在、待月橋のみごとなモミジ

今では矢作川の支流、巴川と足助川が合流する「巴橋」「待月橋」から上流の「香嵐橋」周辺の約1.5kmのエリアで、川の両岸から飯盛山山頂にわたって約4000本のモミジが紅葉。周辺には鮎の塩焼きが名物の「川見茶屋」、古民家を移築した料理処「香嵐渓一の谷」など風流な食事処もあります。

例年紅葉の見頃は11月中旬〜下旬で、地元足助観光協会の担当者によると、2013年11月13日(水)現在で「4、5分の色づき。見頃は週明けの11月20日前後から下旬、とみています」とのこと。

時期に合わせて2013年11月1日(金)〜12月1日(日)まで「足助-香嵐渓もみじまつり」を開催。期間中は日没〜21:00のライトアップをはじめ、なかほどの香嵐渓広場では、猿回しや和太鼓の演奏、茶会など、さまざまなイベントも実施。

ドライブプランとしては、まずは国道153号沿いにある巴橋周辺の駐車場に車を入れ、ここを起点にもみじのトンネル〜待月橋へ。香嵐渓広場から三州足助屋敷を見学後、香積寺経由で標高254mの飯盛山へ所要30分のミニハイク。

あるいは巴川上流の川見駐車場に車を停めて、川見えん堤〜つり橋の香嵐橋〜一の谷の紅葉ポイント(所要10分程度)を遡ったあと、下流の待月橋方面へ。ちなみに巴橋から一の谷の紅葉ポイントまでは、所要20〜30分程度。

その後、時間に余裕があれば、国の重要伝統的建築物群保存地区にも指定された足助の街並み歩きもぜひ加えたいもの。足助地区でも商店街のスタンプラリーやこの土日、11月16・17日には「あすけ うちめぐり」、「ご利益めぐり」など、各種イベントも開催されています。

ただし、紅葉のピーク時には、平日でも渋滞が生じる場合があるのでご注意を(早朝から8:00頃までに到着すれば、比較的渋滞に巻き込まれる割合は少ないとのこと)。詳細については、足助観光協会のサイトにある、香嵐渓迂回路マップ2013を参照のこと。


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昔ながらの手仕事を紹介する三州足助屋敷

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三州足助屋敷の竹籠屋実演

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三州足助屋敷木地屋作品

香嵐渓・薫楓橋の近くにある、足助の豪農を再現した三州足助屋敷では、わら細工、機織り、桶(おけ)作り、番傘作りなど、さまざまな手仕事の実演販売が行なわれ、本場の五平餅を味わえる食事処「桧茶屋」も併設。たれに使う味噌も手づくりという五平餅は300円。

また塩の道と呼ばれた中馬街道の宿場・足助も、散策に最適。「中馬」とは、江戸時代に信州の馬稼ぎ人たちがつくっていた同業者の組合で、物資の運搬に従事した人々をさす言葉。信州から年貢米やたばこ、三河からは塩などが馬の背で信州へと運ばれました。その重要な宿場だったのが足助で、街道沿いには昔ながらの町並みが残されています。

とくに蔵造りのマンリン書店脇の「マンリン小路」は、記念撮影に絶好の場所。黒板張りと白壁の土蔵が左右に迫り、雰囲気満点です。みやげには、街道時代の蔵造りの屋敷が残る「和菓子処両口屋」で、絶品のういろや干し柿の種を取って栗きんとんをつめた「中馬柿」がおすすめ。町営西町駐車場などに車を入れ散策を。

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歴史ある宿場町・足助にあるマンリン小路。マンリンという名前は、マンリン書店の屋号が萬屋で、当主は代々林右衛門を名乗ったことに由来

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足助の宿場町の中心にある和菓子処両口屋。街道時代は繭問屋だったとか

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和菓子処両口屋の名物ういろ。中馬街道で信州へと運ばれた塩に因んだ塩、地元の豆腐や八丁味噌を使ったういろは、塩・豆腐・味噌の3種類

posted by シマウマ-クラブ at 09:28| 愛知のおすすめ

2013年03月27日

お花見情報(6) 愛知・奥山田のしだれ桜&岡崎公園・伊賀川桜堤

サクラの巨樹が少ない愛知県にあって、樹齢1300年という頭一つ飛び抜けた存在が、岡崎市・奥山田のしだれ桜。3月26日(火曜)に満開を迎えましたが、なんとこの桜、伝承が正しければ持統天皇が崩御する前に三河遠征を行ない、その時のお手植えと伝わるエドヒガンザクラ。歴史ロマンを感じさせる桜です。

2013年は3月23日(土曜)から平成25年4月4日(木曜)にかけて、奥山田のしだれ桜まつり」も開催。期間中は、毎日18:00から21:30までライトアップも実施され、幻想的な風景が展開。桜茶屋も開設され、抹茶と菓子で一服することも可能です(ただし桜茶屋の営業は、9:00から17:00まで)。

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岡崎市・奥山田のしだれ桜。できれば昼と夜ともに訪れたい

奥山田のしだれ桜は例年、岡崎公園など周辺に咲くソメイヨシノより10日ほど早く咲き始めるのですが、今年に限って言えば、ソメイヨシノもほぼ同時に開花。岡崎公園や伊賀川桜堤のソメイヨシノは、3月27日(水曜)現在5分咲き、逆に幸田文化公園のしだれ桜は、まだ開花したばかり。

また3月27日(水曜)から4月15日(月曜)にかけては、「岡崎の桜まつり」も開催。岡崎公園から伊賀川桜堤一帯では、18:00から22:00までライトアップも行なわれ、周辺には約150軒もの屋台が出店、華やかな気分が味わえます(ただし同時に周辺の交通規制も実施され、臨時駐車場が開設されるので注意を→平成25年度桜まつりマップを参照)。

これからの開花状況にも左右されますが、今週末に花見を計画するなら、場合によっては途中の幸田文化公園をカットし、奥山田のしだれ桜から市街中心部に位置する伊賀川桜堤や岡崎公園を加えてみてはいかがでしょうか。

【ひとくちMEMO】
幸田文化公園で行なわれる「幸田しだれ桜まつり」は、2013年4月1日(月曜)から4月15日(月曜)の開催。期間中はイベントをはじめ、4月4日(木曜)から4月14日(日曜)には茶席も開設。
posted by シマウマ-クラブ at 14:04| 愛知のおすすめ

2012年10月14日

昔まち・武豊を歩いてみた

子供向けのトンチに、日本で一番高い場所にある駅は?
というのがあります。答えは東京駅で、なぜなら入線する電車はすべて上り(のぼり)だからというオチがつきます(本当の正解は、小海線野辺山駅です)。

全国に張り巡らされたJRの路線網ですが、東京に向かうのが上り、その逆が下りというのは常識です。加えていえば、運行する列車を区別するために列車番号が決められていますが、原則として、線区の下り列車に奇数、上り列車に偶数の番号が付されています。

ところが、東海道本線大府駅からと知多半島向かって延びる武豊(たてとよ)線は、この上下関係が逆転しています。本来なら、武豊から大府に向かう列車が東京方面に向かう上り、その逆が下りとなるはずです。ところが、武豊発の列車の列車番号は奇数(つまりは下り)と本来上りとなる東京方面が下りという逆転現象が起きています(注/JR東海のウエブ上では便宜的に武豊から大府行きが上りとして扱われています)。

なぜ、逆転現象が起きたかといえば、話は東海道線開通以前の明治初期にまで溯ります。
明治となって新政府はすぐに明治2年11月10日、東京〜神戸(当時の海外への貿易渡航の玄関口)間を結ぶ幹線鉄道を建設することを正式に決定します。東海道沿いのルートは、大河を渡河する、戦時下に艦船の艦砲射撃を受けるとの理由で明治16年に中山道案が採択され、東京と大垣を結ぶ中山道鉄道の建設が始まります。

中山道鉄道の資材輸送線として当初、四日市〜関ヶ原間に鉄道を敷設する計画がありました(明治16年に三重県令が敷設を申請)。ところがこの路線、途中に急勾配、急河流の横断があって不向きとされ、江戸時代には知多廻船の拠点となった半田港から名古屋まで鉄道を建設する案が浮かびました。半田港案はさらに武豊港案に変更され、明治19年3月1日、中山道支線半田線として武豊〜熱田が開通しました。4月1日には清洲まで延伸し、5月1日には名護屋停車場(現在の名古屋駅)が誕生しています。

中山道案では難工事が予想されると、東海道案に変更されるのは、明治19年7月13日のこと。つまり、武豊線は東海道線工事決定以前に開通していたというワケなのです。だから、武豊港に向かって上りとなったのです。

明治19年開業の旧武豊駅は、その後、武豊港駅となり昭和40年まで営業を続けましたが、廃止され、現在は往時を偲ぶ転車台(ターンテーブル)だけが残されています。

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現存するターンテーブルは、昭和2年、ライジングサン石油会社(後のシェル石油、昭和シェル石油の前身)の依頼で建造されたもの。明治34年にライジングサン石油の油槽所が設置され、そこに専用の引き込み線も設けられていた。開通時には蒸気機関車の方向を変える木製の転車台が設置され、その先の港には長さ145m、幅5.5mの桟橋が設けられていました。鉄道開通の翌年には明治天皇を迎えての第一回大日本帝国陸海軍合同大演習も行なわれています。当時、この地は、まさに大注目の場所だったのです。

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武豊港駅近くの廃線跡


明治25年に内陸側に駅舎が移され、当初の駅はその後、武豊港駅として主に貨物の取扱駅となります。昭和40年に武豊駅〜武豊港間は廃止となりますが、今も廃線跡は公園などになり、その姿を残しています。


1829(文政12)年創業の丸又商店(マルマタ)、文政年間創業の伊藤商店、明治12年創業の中定商店、大正10年創業の泉万醸造、明治5年創業の南蔵、大正8年創業のカクトウ醸造と老舗の味噌蔵が建ち並び「昔まち」を形成しています。

全国的にはまだまだ無名の存在ですが、味噌蔵の町を散策する楽しい旅が期待できます。

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タグ:街並み歩き
posted by シマウマ-クラブ at 12:13| 愛知のおすすめ

2012年07月11日

玉木宏演じた源義朝の暗殺場所へドライブ!

大河ドラマで玉木宏演じた源義朝は、なんと入浴中に暗殺されています(NHK大河ドラマ『平清盛』27話「宿命の対決」/2012年7月8日放送)。
どこで暗殺されたかといえば、愛知県知多半島の野間。愛知県では夏の海水浴でも有名な地です。

源​義​朝​暗​殺​湯​殿​跡​(​法​山​寺​)→野​間​大​坊​(​大​御​堂​寺​) →長​田​父​子​は​り​つ​け​の​松 →野​間​灯​台 →鵜​の​山​ウ​繁​殖​地 →美​浜​オ​レ​ン​ジ​ラ​イ​ン​・​鍋​山​一​等​三​角​点 とドライブしてみませんか?

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法山寺境内の源義朝暗殺湯殿跡


posted by シマウマ-クラブ at 08:52| 愛知のおすすめ